転車台の空中写真、続きです。
前回⇒①
蘇我支区
蘇我駅の南側、内房線に沿ったところに新小岩機関区蘇我支区が置かれており、転車台も設置されていました。
電動下路式20m。
千葉駅西側の千葉機関区廃止後、機関車の転回はここか千葉気動車区の転車台で行われたそうです。
この転車台は駅から離れていたせいもあるのか、なかなか情報が無く詳細が分かりません。おそらく1960年頃に設置され、1975年以降に撤去されたと思われます。わずか20年弱の存在期間です。
跡地はJR貨物の千葉機関区となっています。
大網駅(大網駐泊所)
空中写真は移転前の旧大網駅です。北東側が東金方、南西側は左に蘇我方、右に茂原方と線路が分かれて伸びています。
転車台が設置されていた駅はその多くが明治や大正時代の開業であったため、転車台のサイズは40フィート(12.2m)や50フィート(15.2m)が中心でした。
1896年に開業した大網駅にも15.2mの転車台が設置されており、房総東線と東金線の分岐駅として機関車の転回が行われていました。
空中写真ではよく判別出来ませんが、下路式ではないでしょうか。
大網駅
「大網駅の転車台」といえば、こちらの方が有名ですね。
電動上路式20m。汽車製造株式会社製。自重27t・荷重145t。1953年4月設置。
写真は1975年であり、既に大網駅は南側の新駅に移転しています。旧駅の駅舎等はまだ残っていますが、転車台へ通じる線路は剥がされているように見えます。
この転車台は日本初の三点支持型として新設されたものです。
三点支持型はバランスト型の問題点であった重心の偏りによる回転抵抗の増大を軽減させることを目的に開発されたもので、中央支点以外に円周上の2点でも荷重を受けているのが特徴です。円周上で荷重を受けるので、転車台坑の円周には支えとなるガイドローラーが乗る円形軌条が敷かれていました。
また、当転車台は電動駆動ですが、停電時も転回が可能なように「大友式駆動装置」も補助装置として設置されていました。大友式駆動装置は蒸気機関車の圧縮空気が動力の駆動装置で、駆動時の動きから尺取虫と呼ばれています。
写真は小樽市総合博物館の転車台の大友式駆動装置(私が撮影した映像のキャプチャーなので少々荒いですが)。現役のため、気になる方は小樽へ!
大網駅の話に戻りますが、大網駅移転後の転車台は写真の様に放置されていました。1980年前後に撤去されて、現在の跡地は草地となっています。正直、設置の経緯からどうにかして保存できなかったのかと思っています。
勝浦機関区
勝浦駅の転車台は電動上路式18.5m。
当時、勝浦駅には勝浦機関区が設置されていました。ただし、写真撮影された1975年に勝浦運転区となります。
勝浦運転区は木原線用のキハ35系が配属されており、検査等があるときは毎回、大原から勝浦まで回送していたそうです。
安房鴨川駅
1955年、房総東線と房総西線の終点であった安房鴨川駅です。上が勝浦方、下が館山方。
この駅にもかつては転車台が設置されていました。
18.3mであったようですが、詳細は不明です。
おそらく北条線の単独駅として1925年の開業時に設置されたと思います。記載の空中写真は1955年ですが、この時点で転車台坑のみ、桁は存在していないように見えます。
現在、跡地は駐車場になっています。
館山機関区
今回記事最後は館山駅。電動上路式18.0m。
撮影された当時は館山機関区が設置されていました。
館山駅は1919年の開業時は終着駅でしたので、この際に転車台が設置されたと思われます。館山機関区の転車台として運転区となる1969年頃まで使用されたのでしょう。
ほかにも
以上、現役1件・廃止12件の転車台を紹介しましたが、千葉県には他にも転車台が存在していた駅があります。
また、成田ゆめ牧場の羅須地人協会まきば線には現役のターンテーブルが存在しています。千葉県の現役転車台は木更津駅のみではない
最後に余談ですが、国鉄時代に千葉鉄道管理局が発行した『千葉鉄道管理局史』(1963年)には、当時の主要駅「11ヶ所」に転車台が設置されていたと記述(429頁)されています。
このカウントは千葉局管内のため、東京北局の我孫子駅を除くと、執筆時の1960年初め頃で現役転車台が設置されていた駅は以下の通りと予想できます。
千葉は「11駅」に気動車区を含めるのか不明ですが、千葉機関区は1961年廃止のため該当しないはずです。安房鴨川駅は当時既に撤去されていたと思われるため、上記のようになります。管理局史のどこかに載っていたらご指摘ください。
転車台は意外に資料が少なく、まだ分からないことが多いですが、追記できることがあれば加筆していきたいと思います。