norehero-19の日記

千葉県の鉄道などについて記します。

松代と小諸に行ってきた③

小諸を後にして、最後の目的地、龍岡城へ向かう。

臼田駅

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臼田駅

臼田駅です。いい駅です。
龍岡城へは隣の龍岡城駅より臼田駅の方が近いので、ここから歩いていきます。


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かつて2面3線あった配線も1年前に交換設備が廃止されており、今は1面1線になっています。

線路設備は最近工事したばかりなのか、いろいろ残ったままになっていました。
効率化のためなら容赦の無い東さんですが、保線線路ごと引っぺがすのは大胆だ…。

旧貨物ホームは大丈夫そうだけど、待合ベンチのある島式ホームは今後撤去しちゃうのかな。
線形改良も兼ねて乗り場ホームの拡張とかやるかもしれませんね。

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日本で海から1番遠い地点から10km地点

龍岡城に向かう道中の交差点。「日本で海から1番遠い地点」は山の中にあるそうです。

龍岡城

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だらだらと歩いていたら着きました。龍岡城です。
ここは日本で2ヶ所しかない、☆の形をした星形要塞、つまり五稜郭です。
龍岡っていうのはこの辺りの字名らしいですね。

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入口

ただ、「城」といいつつ、実際は龍岡藩の陣屋だったので、規模はそこまで大きいわけではない。
また、城内は小学校となっていますが、2022年度で廃校となるそうで、廃校後は校舎を取り壊して、当時の状態に復元する計画があるようです。
ここの大手門跡も、もしかしたら門が復元されるかもしれません。

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田口招魂社
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立派な銀杏の木
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御台所

城内での現存遺構である御台所。もともとは城内の中心辺りにあったのを移築している。廃校後はもとの場所に戻す予定らしい。


休日だったので小学校はお休みだったけど、やっぱり校内にいるという気持ちはドキドキするので、早々に退散。
であいの館に寄った後、次は山を登ったところにある展望台を目指します。

やっぱり星形といっても、地面で見ててもよく分からない。ここまで来たからには上から見ないことには帰れない。
いや実際歩いていたら、道路や堀の形でなんとなくわかるけど。

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佐久市歴史の里 五稜郭 であいの館

写真の時点でめっちゃ眩しい。この時点でたしか15時くらいです。

展望台へ

龍岡城が見渡せる展望台へは車でも行ける林道ルートと徒歩でしか行けない登山ルートがあります。
勾配的に楽なのは林道ですが、城からは回り道になるので直進的に行くには登山ルートが一番早いです。
ただ、登山ルートは地図に描かれていないので、であいの館で案内図をもらいました。



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展望台への道、入口

最初からこれ。
道を間違えたかと思ったけど、よく見ると「展望台↑」って紙が貼ってあるので行くしかない。前途多難感が半端ないですが、人は通っても大丈夫なので奥へと進みます。


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次はどっちだ…って思う頃に矢印くんがいるので迷わない。

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柿の木

案内図に描かれている柿の木チェックポイントまできた。登山道はこのまま真っすぐです。


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登山道はよく整備されていて、道が見えるので迷うことはないです。看板もときどきあるので大丈夫。
ちなみに写真だと分かりにくいですが、めちゃくちゃ急勾配です。

撮ってないですが、登山道入ってしばらくはお墓があります。また、石垣が組まれている平場があったり、炭焼き窯の跡もあったりと里山を感じられる。


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この九十九折の上が林道。
今回はちゃんと山登れる靴で行ったけど、スニーカーとかで登ってたらダメだったな。

あと、今回は秋だから藪も虫も心配なく登れたけど、他の季節ならもっと対策していかないとヤバイと思いました。


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登山道を登り切って、林道まで来れた。逆コースだったら絶対こんな道入っていかない。


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林道をしばらく歩くと、また小道に入っていくルートになります。展望台はもうすぐそこですが、途中に三角点があります。
龍岡城からここまで20分くらいで行けると思ったんですが、結局30分かかりました(疲労困憊)

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展望台

というわけで着きました、展望台。 
紅葉がすごいですが、さんざん見てきたので全然キレイに撮ろうという気持ちがない。

龍岡城展望台

展望台から撮った龍岡城です。
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夕暮れ時なのに夕日が上手に収まっているわけでもなく、紅葉とバッチリ撮れているわけでもない…。
こういうときにもっと写真練習しておけば良かったと後悔するのであった。

自分としては、「小学校の校舎がある龍岡城」を撮りたかったので目標達成です。
そりゃあ復元されるのが一番でしょうけど、城内が「学校」になって100年以上経っているのも歴史として認識しないといけないと思うわけです。
そして何より、堀に囲まれた小学校が単純にカッコイイじゃないですか。


あと、分かってはいたけど、ザ・★!って感じで撮るのは高さ的に無理ですね。
星力を感じたいときは大人しく航空写真見るかドローン飛ばすしかなさそう。


ほんとは展望台からさらに林道を登って行ける田口城跡も行ってみたかったけど、日も暮れてきたので撤収。
帰りは林道を下りて龍岡城駅まで向かいます。

龍岡城駅は1面1線の駅ですが、待合室はお城っぽくなってました。写真は撮り忘れた。


あとは林道の様子を何枚か撮ったので、それを上げて終わりにします。ありがとうございました。

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林道は舗装されてはいるが時々砂利敷になる。待避所も所々にあるがあんまり広くはなかった。

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情報量が多い

幸いにもクマさんには出会いませんでしたが、いても全然おかしくない雰囲気。

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山奥って謎の廃車あるよね。屋根が乗ってる豪華タイプ。
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林道の入口にはちゃんと看板があるので分かりやすい

終わり。

松代と小諸に行ってきた②

上田駅

1日目は長野駅前で一泊して、2日目は小諸城龍岡城に行ってきました。
が、上田駅で乗換時間があって暇だったので何枚か。

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軽井沢リゾート

長野駅から乗った軽井沢リゾートです。上田の次は中軽井沢なので上田で大人しく降りる。

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115系

軽井沢行を待っている間に適当に撮ったS15編成です。次の日に引退のニュースが上がったので、もっと真面目に撮れば良かったと思っています。

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上田駅引上線

上田駅の引上線。かつての上り6,7番線。大昔はこの引上線の外側に転車台もあったそうです。


小諸

小諸駅

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小諸駅

そしてうだうだしながらやってきた小諸駅

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小諸駅油庫

小諸駅の油庫です。イギリス積みな上に屋根下を張り出させるオシャレな造り。
蒸気機関車が走っていた時代の駅にしかない貴重な施設ですけど、よく考えたら千葉県に油庫って現存するのかな…。

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小諸駅でS15編成
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HIGH RAIL 1375。曲がってるじゃん

小諸城

そんなこんなで、小諸城を見学しに懐古園に行った訳だけど、紅葉が一番色づいているタイミングで、めちゃくちゃ人が多かった。
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図らずもめっちゃキレイに紅葉が撮れたので見てほしい。
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小諸城天守台から。

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本丸と馬場の間

小諸城田切地形と千曲川の崖を利用した「要害」ですが、意外と園内を回るのにはそこまで疲れない広さ。あと、たいていの城跡は柵とかで囲まれるけど、小諸城は石垣にフェンスとかないんで油断すると落ちます。個人的にはこの方が良いんですけど。

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大手門
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大手門

最後に、懐古園を出て、大手門。質実剛健ってかんじですな。
ちなみに小諸城松代城と同じく城の縄張範囲を鉄道が横切っています。


ラストは龍岡城だが長くなったので次回。

松代と小諸に行ってきた①

松代

長野県の松代と小諸、龍岡に行ってきました。
松代駅や松代城を見てきました。

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街の案内図

松代駅跡

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松代駅跡

長野電鉄屋代線の松代駅。廃止から約20年が経っていますが、まだ鉄道が通っていると感じられるこの佇まい。
めっちゃいい天気。ここまでは新幹線とバスで来ました。

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駅舎内
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駅舎説明
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ホーム

島式ホームは解体されて駐車場となっています。線路はもう無いけれどホームから降りると不思議な気分になる。

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信号梃

信号てこ。他の人の写真だと並べられているけど、こんな感じで積まれていた。

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屋代側

須坂側は自転車道にするための工事が始まっていた。

松代城

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松代城太鼓門

基本的に野面積みの石垣だけど、城内の所々に打込み接ぎらしさもある。両者の中間って感じ。あとめっちゃいい天気。

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海津城址之碑

信長の野望やっていると松代城よりも海津城との方がしっくりくる。

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戌亥隅櫓台から北不明門
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本丸から北不明門

肝心の戌亥隅櫓台の石垣は撮り忘れたよね。


松代駅は松代城の二の丸や埋められた外堀の位置に建てられており、鉄道が城の縄張りをぶった切った形となっています。
同じような例として岡山の福山駅や、(本丸ごと潰した)新潟の長岡駅がありますが、明治期に城跡を鉄道敷地に利用するのは、市街地に近い&一定の広さがある等といった要因があると思っています。

城郭サイドからすると完全復元の障害でしかないでしょうが、歴史地理的には数多ある城跡の利用方法の一つとして、とても面白いです。


松代象山地下壕

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地下壕の入口

戦時中に掘られた松代地下壕。
人が掘削しているため、天然洞窟よりも10倍歩きやすい。ヘルメットを付けて入るけど屈まないと入れない場所とかは無い。
奥まで行ったら折り返して入口まで戻ってくるスタイルのため、トイレとかは先に行っておこう。

ちなみに地下壕の中は淡々と説明文があるだけなので、詳しく歴史を知りたい人は地下壕入口の隣にある歴史館に行きましょう。


コウモリがいるって聞いていたけど、全然いなかったぞ…。

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地下壕内

豪内はほとんどの箇所が鉄骨で補強されている。

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削岩機ロッド

まず削岩機で岩盤にロッドを打ち込む。これは抜けなくて放置されたロッド。

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削岩機ロッド掘削跡

ロッドを抜いたら、穴にダイナマイトを入れて発破する。

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ロッコ枕木の跡

粉砕した岩石をトロッコに積んで搬出する。

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測点跡
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地下壕内の温度。13.5℃

(地下壕よりも朝の長野駅の方が寒かった)

川中島古戦場

最後に時間が少しあったので、川中島に行ってきた。

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川中島大合戦図
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武田信玄上杉謙信
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三太刀七太刀之跡
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執念の石

長野

一応、廃線メインでやってるブログなので、申し訳程度の廃線要素。

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善光寺白馬電鉄山王駅

善光寺白馬電鉄の山王駅跡です。石垣上に1面1線の駅が置かれていました。昔は橋脚もあり、築堤ももっと高かったそうですが、失われています。
石垣に「山王驛花園」という木札が掲げられていたようですが、自分が行ったときは無くなっていたのか蔦に覆われていたのか見つけられませんでした。

ちなみに築堤の道路挟んで反対側(南長野駅側)は普通に家となっていて廃線跡とは全然思えません。
自分は時間が無かったので行きませんでしたが、南長野駅から信濃善光寺駅までは市街地でなので廃線探訪しやすいと思います。


次回は小諸と龍岡。

鉄道連隊演習線に繋がるアヤシイ路線の話④

航空写真に写る謎の引込線


4回目は補給廠線の専用線以外の用途について考えます。

この専用線、戦後の航空写真をよく見てみると不思議な引込線が何本も写っているのです。

第1回に掲載した航空写真に写っていますが、改めて下記に、引込線部分をピックアップして載せます。

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1946年(USA-M58-A-6-210)を加工(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」)

写真は松波地区です。
東西を横切るのは総武本線で、扇状の住宅地は松波3丁目です。
赤い線が今回の主役である補給廠線です。

元写真などを拡大してみるとよく分かるのですが、補給廠線から6本の短い引込線(オレンジ矢印)、デルタ線となっている長い引込線(オレンジ線)が別れています。引込線は他にもあるかもしれません。


そもそもこれらが鉄道に関係するのか怪しいですが、区画された道路に寸断されている点や補給廠線から緩やかに分離している点から鉄道関係施設と判断します。


では、この引込線は何なんだとなるわけですが、まず補給廠線の情報が皆無な時点で正体が分かる術がありません。

ですので結論からいうと正体不明です。
ただ、推測ですが、これら引込線は機関車の防空壕であったと考えます。

東武野田線大和田駅防空壕

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1946年(USA-M46-A-7-3-93)

突然ですが、この写真は埼玉県にある東武野田線大和田駅の1946年のものです。

大和田駅の春日部側から北上する線(矢印)がありますが、この引込線も機関車の防空壕線であると言われています。

実は千葉の補給廠線から伸びる引込線と、この大和田防空壕線(仮称)にはいくつかの共通点があります。

  1. 拠点機関区に近い(千葉機関区、大宮機関区)
  2. 機関車の転換用にデルタ線がある
  3. 引込線は隠蔽用に林の中にある

大和田に比べると千葉のは規模が小さく感じますが、これら共通するポイントから、千葉の引込線も防空壕であった可能性が高いと考えました。

防空”壕”?

「機関車の防空壕」といえば米原防空壕が有名ですが、千葉も大宮もトンネルではなく森林を活用しています。

千葉も大宮も、近くにトンネルが掘れる山はないため、機関車を隠せる、もしくは被害を最小限に抑えられる森林内に防空壕を設置したと思われます。
航空写真でまる見えなので現実的に効果はあったのだろうか。

ですので防空”壕”というより防空”林”の方が正確かもしれませんが、「空襲に備えるシェルター」の意味として防空壕としておきます。

建設されたのは空襲前後か?

防空壕線の建設時期は戦中である以外、現時点で特定できる要素はありません。
千葉市を襲った2回の空襲(1945年6月10日と「七夕空襲」といわれる1945年7月7日の空襲)の前後に建設されたんじゃないかと推測できる程度です。
こればっかりは空襲の記録や、敷設を担ったであろう鉄道連隊の行動記録等を地道に当たるしかないと思っています。


意外と長い廃線跡

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2019年(CKT20193-C15-8とCKT20193-C15-10を元に加工)

最後に2019年の航空写真です。
鉄道連隊の習志野線と千葉材修場線は敢えて分けています。また、作業場線はだいたいこの辺りって所に線を引いています。防空壕線は一応、引込線群としました。
千葉駅の移転関係は省略。


補給廠線はそのキレイな線形が最大の遺構ですが、物理的な遺構は穴川の急カーブに陸軍の境界標石が残っているようです。松波側にも探せば残っているかもしれません。
また、松波さくら通りは千葉商業高校辺りで車道と小道が別れています。これは車道部が鉄道の築堤として建設された名残でしょう。

気が向いたら現地調査するかもしれませんが、ぜひ得意な人はよろしくお願いします。

まとまらないまとめ

今回は鉄道連隊習志野線跡から分岐する道路を千葉陸軍兵器補給廠の専用線跡であるとして書いてきましたが、結局のところ、補給廠線=松波ルートであると確定できる史料を見つけられていないため、この点は今後の課題です。

そもそも廃線跡として扱われていない現状なので知名度が上がればひょっこり史料が出てくるかもしれないという淡い期待を抱いて終わりとします。

鉄道連隊演習線に繋がるアヤシイ路線の話③

「千葉陸軍兵器支廠間陸軍専用鉄道」

3回目はこの路線の正体について求めていきたいと思います。


ただ、鉄道連隊に関しては史料などの情報があるのに対して、
この路線に関する情報は地図程度しかない…。
というより、そもそも存在自体が認知されていないわけで。

いろいろ調べていて、困っていたのですが、
一つだけ、この松波環状線の正体を明かせる史料を見つけることが出来ました。


『千葉駅構内軍用ホーム、千葉陸軍兵器支廠間陸軍専用鉄道敷設ノ件』
https://www.digital.archives.go.jp/item/1939626

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『千葉駅構内軍用ホーム、千葉陸軍兵器支廠間陸軍専用鉄道敷設ノ件』より一部抜粋


これは国立公文書館デジタルアーカイブに登録されている鉄道省文書です。
残念ながら画像閲覧はできなかったので、史料を取り寄せました。


具体的な内容は次項にて記しますが、この史料が存在すること、他に類似する路線も無いことから、千葉駅と兵器補給廠を結んでいた鉄道は補給廠の専用線だったということで間違いないでしょう。

鉄道連隊の演習線ではなかった。半分分かってやっているのでわざとではある


どうでもいいことですが、画像の「近衛師団経理部長 鉄道」と書かれた項目は、通常なら鉄道会社名+鉄道or軌道となる場所ですが、今回は陸軍相手の書類のため、ちょっと面白い表記になってしまっています。


陸軍専用線のデュアルゲージ?

まず、この史料は昭和14年9月16日付にて陸軍から鉄道省に向けて宛てられています。
鉄道敷設の理由は「軍事上ノ必要ニ依リ」…

なんの根拠もなく推測しますが、おそらくは戦争により兵器輸送の需要が高まったこと、習志野線があくまでも演習線であり常設線ではなかったこと、などが専用線を新たに建設する理由になるのではないかと思います。


また、当史料は最終的に昭和15年11月5日付の日付で回されていることから、少なくとも専用線は1940年末以降に建設されたことになります。

1940年代であれば、当記事の①に記載した地図に当路線が描かれていても問題ありません。


なお、この史料で一番期待していた図面は、残念ながら添付されていませんでした。
どうやら「一般図」1枚、「平面図」3枚、「縦断面図」4枚が添付資料として存在していたようです。


次に専用線の「工事方法書」を転載します。

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「工事方法書」『千葉駅構内軍用ホーム、千葉陸軍兵器支廠間陸軍専用鉄道敷設ノ件』より一部抜粋、人名ぼかし

全体的には狭軌の標準的な規格と思えますが、この中で目を惹くのは、「2.軌間」の項に狭軌標準軌が記載されていることです。

項3で単線としているため、専用線は3線or4線軌条で敷設されていた可能性があるわけです。ただ、戦中で果たして100%そうであったかは微妙なところですが。

「8.土工定規」が鉄道省ではなく満鉄の規定に依っているのも標準軌が原因かもしれません。
もしかしたら千葉駅に標準軌の列車が乗り入れていたかもしれないですね。

専用線はどこからどこまでか

また、当史料には専用線の延長についての記載や図面がないため、”どこからどこまで”が専用線であるのか判断できません


まず、「千葉駅構内軍用ホーム」とありますが、これは鉄道連隊の軍用千葉駅を指すのか、省線千葉駅に軍用の専用ホームが存在したのか。

自分としては、”千葉駅構内”という表記から後者だと思いますが、戦前の千葉駅配線図を見たことがないため、断言できません…。
ちなみに下図の通り、2か所は離れているため、どっちでもいいといえばいいのですが、気になる所です。

「軍用千葉駅」は分かりやすく呼称しているだけで正式名称ではありません。史料では”千葉軍用停車場”と記載されているものがあります。「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C01006610900、千葉軍用停車場敷地の一部管理換の件(防衛省防衛研究所)」

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1946年。USA-M58-A-6-210を加工(国土地理院地図閲覧サービス)

また、史料タイトルだけでは専用線に兵器支廠から鉄道連隊習志野線までの区間(穴川の急カーブ)が含まれるのか不明です。

ですが、項6にて最小曲線半径は「160m」とされています。この長さは当記事②にて測った穴川の急カーブと一致しているため、少なくとも習志野線との分岐部までは専用線の規格で建設されているといえます。


というわけで、省線千葉駅から習志野線分岐部までを専用線として、1955年の航空写真に載せたものが下図です。
専用線の名称がずっと安定しないですが、一応「千葉陸軍兵器補給廠専用線」ということにします。また、千葉駅の辺りは適当です。

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USA-M76-14 を加工


今回は史料をもとに「松波環状線」が千葉兵器補給廠専用線であったと定めた訳ですが、
正直、図面が無いなど、若干の不完全燃焼感は否めないです。

ですが、戦中に建設された当専用線に対する知名度が少しでも上がれば、
いつか当時の写真や図面などの史料を見つけることができるのではないかと期待しています。



次回は、この専用線が兵器輸送以外に使用された可能性について考えてみます。

鉄道連隊演習線に繋がるアヤシイ路線の話②

美しい線形

鉄道連隊の習志野線から分岐する謎の路線、続き。
※千葉陸軍兵器支廠は補給廠⇒千葉分廠となりますが、補給廠に統一します。

次は戦後の航空写真を見てみる。

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1946年(USA-M58-A-6-210)国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」

米軍撮影の1946年の航空写真です。環状線部分を切り取っています。


赤矢印が廃線跡です。戦後写真のため、撮影時に線路が残っていたのかは不明ですが、松波地区は宅地開発や新設道路のために剝がされていそうです。
ですが、補給廠内は放置されていたかもしれません。

どちらにせよ、地図に描かれていた路線は実際に存在したといっても大丈夫でしょう。


補給廠の”駅”と思われる場所(上から2番目の矢印)は、見た限り5,6本の線路が敷かれていたのではないかと思うくらい広いです。
よく見ると地図に描かれた引上線も確認できます。


総武本線との合流部は、現在の松波陸橋となっている踏切に軌道内舗装板が3つあるように見えるなど、省線と軍用鉄道は分かれていたことが分かります。


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1955年(USA-M76-14)

次は1955年の航空写真。

この時点でかなり宅地開発が進んでおり、現在に近い区画になっています。千葉公園内も綿打池や球場が完成しています。

廃線跡は半円部が残っていますが、補給廠内は北側に痕跡が残っている程度であとは宅地や道路となっています。

半円部は鉄道由来か?

地図や航空写真でキレイに残っているのでわざわざやることではないですが、念のため確認しておきます。
補給廠北側の半円部、鉄道にしてはちょっとカーブがきつすぎる気がしたので測ってみました。

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はんけい(地図を使って半径を調べるサイト)

この画像ははんけい(地図を使って半径を調べるサイト)を使って作成しました。指定した半径の距離を入力すると、その円が地図上に載せられるサイトです。

こうしてみると、穴川の半円は、曲線半径160mぴったりで造られていたことが分かります。
R160といえば、東急東横線の地上線時代に代官山~渋谷間にあった並木橋附近が同じ曲線半径ですから、急カーブといえども鉄道由来であるといっても問題ないでしょう。



次回はこの路線の正体について探っていきます。

鉄道連隊演習線に繋がるアヤシイ路線の話①

アヤシイ道路

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今昔マップを加工。

突然ですが、この地図は千葉駅の北側、千葉経済大学の周辺です。
左が地理院地図、右がオープンストリートマップです。


もう先走って地図に書き加えてしまいましたが、
轟町と松波の所にアヤシイ道路があります。

①轟町は四角い区画から生える謎の半円道路、②は総武線からゆるりと分岐する道路です。


この2か所が線路の跡なのではないか?ということです。もう答えなんじゃないか。

というわけで、今回はこのアヤシイ道路の正体について考察していきたいと思います。


千葉県の鉄道史に必ず登場する陸軍の鉄道部隊

ご存じの方は、この辺りがかつて鉄道第一連隊の拠点であり、演習線が敷かれていたと察していただいていると思います。

そもそも鉄道連隊とは何ぞや?という方は
イカロス出版の『実録鉄道連隊』が体系的にまとまっていると思いますのでおすすめです。


鉄道連隊の演習線といえば、習志野線とその支線である花島迂回線、下志津線があり、
また、大部分が新京成線となった習志野線があります。
臨時の四街道~八街~三里塚間演習線も県営鉄道となった部分はそれなりに知られていると思います。


実は、上掲の『実録鉄道連隊』に今回取り上げる路線が線路図で描かれていますが、文中での言及はありません。
他にもその路線が書かれた図を載せている書籍はありますが、その性格について記述しているものはなかったと思います。

とにかく、文字では伝わらないので、例のごとく地図を使っていきます。


戦前の千葉市は「軍都」

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今昔マップを加工。2万5千分の1。

画像は今昔マップ・1930年部修の千葉駅北部と現代の比較図です。

鉄道第一連隊が置かれていたのは椿森の「鐡道一」となっている所です。ここは津田沼千葉工業大学に残る門柱のような遺構はなく、石碑があるのみです。

そして、地図中央にあるのが「千葉兵器支廠」と鉄道第一連隊の倉庫です。
国鉄の千葉レールセンターを経て、現在は千葉経済大学となっています。大学構内に材料廠煉瓦建築が残っています。

最終的に周辺には歩兵学校や気球隊、戦車学校もあった訳ですから、「轟町」という地名がつくわけです。


「軍用鉄道」と書かれているのは下志津線の線路です。
習志野線は旧千葉駅の西側から北上し、兵器支廠や下志津線が分岐、園生方面に抜けていっています。よくみると第一連隊内にも分岐線があります。
現在の線路跡はモノレールが上空を通っています。


それで、問題の謎路線ですが、この地図には描かれていません。
演習のための一時的な線路か、はたまた嘘なのかと思っていたこともありましたが、次の地図を見てみてください。

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昭和4年及び昭和19年部分修正

この地図は5万分の1ですが、上図と同一の場所を抜粋したもので、1944年に部分修正された地図です。スタンフォード大学のサイトから閲覧できます。
https://stanford.maps.arcgis.com/apps/SimpleViewer/index.html?appid=733446cc5a314ddf85c59ecc10321b41


あえて何も図示しませんでしたが、千葉駅~西千葉駅間から北西方向に分岐する謎の線路が描かれています。
線路は東大と兵器支廠の間を抜けて、戦車学校の南側で大きくカーブ、そのまま習志野線と合流しています。

この路線を、松波地区を通って習志野線と環状になっていることから、この記事だけの呼称として「松波環状線」とします。


上図2つから、1930年から1944年の間に敷設された鉄道といえそうですが、この地図だけでは一時的に敷設された臨時演習線と思えなくもない。

仕訳ヤードも存在した「環状線

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CHIBA(米国陸軍地図局1945-1946)のうち穴川附近抜粋
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CHIBA(米国陸軍地図局1945-1946)のうち椿森附近抜粋

この2つの地図は、米軍陸軍地図局が作成した戦後の地図を抜粋したものです。縮尺が異なるため分かれています。テキサス大学のサイトから閲覧できます。
https://maps.lib.utexas.edu/maps/ams/japan_city_plans/


地図局の1枚目地図をみると「松波環状線」は千葉兵器支廠の敷地内に数本のヤードがあり、”駅”があったと思われます。
”駅”の北には引上線のようなものもあります。

2枚目地図では総武本線と合流してしまっていますが、おそらく総武本線(複線)と軍用線(単線)は並走していた(3線)と思われます。


また、これらの地図に描かれているということは、「松波環状線」が八街演習線のような敷設後に撤去された演習線ではなく、戦中から終戦にかけて敷設されていた(だろう)常設線であったということです。


続く