3回目は、現代に残るレンガ建築を紹介。

千葉経済大学に行ってきました
千葉経済大学では2024年5月27日から10月31日までの期間で「学び舎に残る歴史~煉瓦棟と千葉の戦績~」展を開催しています。開催場所は大学内の図書館2階です。

煉瓦棟は大学敷地内にあることや東日本大震災によるダメージもあることから、今は立入禁止となっている施設です。当企画展が8月から10月まで期間延長されたことから、今回見学に行ってきました。

図書館内の展示コーナーでは、煉瓦棟についての解説や史料が展示されており、国鉄の千葉材修場時代の写真もありました。ほかにも鉄道連隊や千葉の旧軍施設についての解説もありましたので、それらに興味のある方にもオススメです。
そして、展示を見た後に、大学の方に案内して頂いて施設を見学しました。普段は立入禁止ですが見学希望を申し出れば案内してもらえます。以下、煉瓦棟の紹介写真です。
外観

煉瓦棟の正式な建築年月日は分かっていませんが、1908年(明治41年)といわれています。これは同年に鉄道連隊が津田沼から千葉に移転した年でもあり、鉄道連隊の施設としては現存する唯一にして最初期のものです。
建物の前に木々が生い茂っており、建物全体を納めて撮るのは難しい…。この木々は1985年(昭和60年)に千葉経済大学の所有となってから植えられたようです。木々の成長具合から写真の撮影時期を特定するのに使えると思いました。それをする必要はあるのか?
入口は手前のドアです。




壁面に支えのような3本の出っ張りがありますが、これは控え壁、またはバットレスという、建物が外側に広がろうとする圧力、荷重を受け止めるためのものです。
内部







内部はコンクリートで舗装され、キレイな状態となっています。材料廠や材修場の施設であった頃は線路が敷かれていたので、おそらく現役時よりもレンガ1,2段分程度高くなっていると思われます。
レンガにチョークで数字が書き込まれていますが、これは過去のレンガ試験や耐震調査によるものでしょうね。
柱




柱とアーチ部分の接合部にはセメントが使用されており、さらに、連続するアーチの上部には石が積まれています。
柱には数字が書かれており、場所によっては「安全」「注意」と書かれているものもあります。これらは材修場時代のものでしょうか。
ホイストクレーン





入口から入って一番奥にある、静止状態のホイストクレーン。2t吊フックです。
写真整理時に気づきましたが、リモコンの上部に「MITSUBISHI ELECTRIC CO」と書かれたシールが貼られていました。どうやら三菱電機製のようです。クレーン自体の製造元は分かりませんが、これもおそらく材修場時代のものでしょう。
対して、ホイストが載っている両サイドのレールは明治時代のものらしいのですが、ちょうどアーチ部があり見えませんでした。
線路


外に戻り、残されている線路を見てきました。2か所あり、1ヶ所目は狭軌(1,067mm)のみ、2ヶ所目は軽便軌(600mm)と狭軌の4線軌条となっています。


よく見ると、線路の先は石かコンクリートによって塞がれています。材修場時代の写真を見ると、線路はそのまま煉瓦棟内に伸びているので、どこかのタイミングで埋められてしまったようです。大学にはその記録は残っていないとのことでした。
「煉瓦棟」は鉄道連隊の遺構として残る唯一の建物ですが、レンガの品質の良さや荷重を考えて設計された構造など、倒壊することなく現代まで残った理由を知れるものとなっています。また、中に入るとレンガ建築特有の荘厳な雰囲気を味わうことができますので、赤レンガ倉庫など、レンガの建物自体が好きな方にも魅力的な場所だと感じました。
「煉瓦棟」は何に使用された建物か?
最後に、『鉄道連隊附図』から、この「煉瓦棟」が何に使用されていたのかを探ってみたいと思います。

この空中写真は、2019年の轟町周辺です。旧鉄道第一連隊材料廠・旧兵器補給廠が収まる範囲です。前回と同じく、鉄道連隊附図と合わせて北を右向きにしていますので、下側に千葉都市モノレールの作草部駅(左側)、天台駅(右側)が写っています。
旧軍施設が所在していた場所には、千葉経済学園や千葉県立千葉東高校、千葉市立轟町中・小といった教育機関が立地していることが分かります。
この空中写真に前回同様、「材料廠一般図」を重ねたものが下図です。

前回の終戦後の写真とは比べ物にならないほどに建物が増えており、材料廠内の線も見えづらいですが、よく見ると境界線に対して、住宅の向きや道路が一致しています。また、千葉大学のある弥生町側には松並木がありますが、実は鉄道第一連隊材料廠の境界だったことが分かります。
そして、過去材料廠であった千葉経済大学には、唯一現存する建物の「屋根」が写っています。一般図に描かれた施設と重なっているのですが、分かりますでしょうか。



「組立工場」
その建物とは「一般図」で組立工場と記された施設でした。
遷車場(トラバーサ)に囲まれた組立工場の周りには、車両工場や製缶工場(ボイラー)などがあります。これらの施設で製作、修理された部品が組立工場である煉瓦棟内で、蒸気機関車として組み立てられていったことが想像できます。機関車を完成させる場ですから、煙突の当たらないアーチ構造や部品を吊り下げるホイストクレーンが設置されていた理由も明確になります。
煉瓦棟は千葉県の「指定有形文化財」だが…
煉瓦棟は県の指定有形文化財となっており、千葉経済大学が大切に管理していますので今後も残されていくと思われますが、安泰という訳にはいかなそうです。建物全体はとても綺麗に保存されていますが、細部をみるとレンガが劣化している箇所もあり、建物内の見学はヘルメットを被っての数分間のみでした。
千葉市内では、同じく陸軍施設の遺構として残っていた気球連隊格納庫が台風被害による破損や老朽化が原因で2020年に解体されてしまいました。市内に現存する陸軍施設はついに煉瓦棟だけが唯一となっていますが、今後何が起こるか分かりません。
これは廃線に関わらず歴史系の全てに言えることですが、見に行けるうちに見に行くのはとても大事なことです(自戒)
以上、煉瓦棟の紹介でした。また、見学の機会がありましたら見に行きたいと思います。
次回に続く。