千葉好き地図鉄の雑記録

千葉県の鉄道などについて記します。

柏陸軍飛行場建設用鉄道

このブログの主旨?に基づいて、今回は廃線の紹介。
できれば現地にちゃんと行って調べて来れれば良いんだけど、今回も例によって地図と航空写真だけでお茶を濁します。
そして、有名どころはそれだとさすがに手抜き感が強いので何とも言えないマイナーなものをチョイス…。

飛行場建設用鉄道

千葉県は戦前や戦中、東京を空襲から衛るために、陸・海軍の飛行場が多く建設されました。
戦後、その多くは農地や工場用地となっていますが、一部は自衛隊基地として現代に残っているものもあります。

そんな軍用飛行場を建設するために、当時は安定的に資材を供給できる手段として鉄道を敷設して工事を行いました。
”鉄道”といっても、中には軽便軌間であったり手押しトロッコであったり、そのレベルは様々だったようです。

飛行場完成後、建設用鉄道は人員や飛行機資材等の運搬用に使用されるパターンもありましたが、その多くは目的を達成したということで撤去されています。

今回取り上げる廃線は、飛行場の完成後に撤去されてしまった建設用鉄道です。


柏陸軍飛行場とは?

「柏陸軍飛行場」は、かつて柏市に存在した陸軍の軍用飛行場です。
ロケット戦闘機「秋水」の試験飛行場として有名です。

1938年に完成し、戦争中は帝都防衛の要として活用されましたが、戦後に米軍の占領を受けています。
返還後は「柏の葉」として開発され、「飛行場」を感じられる遺構は全くありません。
秋水用の燃料庫が数基残っていますが、破壊されてしまったものもあります。


柏飛行場には戦前に建設されたということもあってコンクリート舗装の滑走路が1本ありました。
長さは1,500mあり、陸軍の戦闘機が飛び立つのに十分な長さです。


まあ、詳しくはWikipedia参照ということでお願いします。
柏飛行場 - Wikipedia


現代地図と比較してみる

下図は今昔マップを基に柏陸軍飛行場のおおよそ範囲を描いたものです。
(微妙にイビツで合ってないし誘導路がはみ出しているのは許して)

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今昔マップを加工

左図は昭和27年(1952年)、右図は現代。

戦後、柏飛行場は廃止され、諸施設を米軍が占領している以外は農地として開墾されていました。
滑走路は「旧滑走路」として地図に描かれていますが、実際はコンクリート舗装が剝がされていたようです。

また、飛行場には滑走路に付随して平行、東、西、北の各誘導路がありました。航空写真だと何となく分かるのですが、地図だとさっぱり分かりません。


こうして現代の地図と見比べてみると、飛行場敷地内はほとんどが官公庁の施設や学校、公園となっており、広い敷地を有効活用していることが分かります。


廃線跡

ここで本題の廃線跡ですが、柏飛行場は線路路盤を西誘導路として転用したようで、残念ながら戦後の開発によって誘導路もろとも現代には残っていません。

柏飛行場は1938年に建設が始められ、その年のうちに完成しているので、鉄道は少なくともわずか半年程度しか稼働していなかったことになります。


では、当時どこに鉄道が敷かれていたのかを確認してみます。

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今昔マップを加工

地図は先ほどの柏飛行場と同じ時代で、やや西よりです。
東武野田線が南北に、常磐自動車道が南から東へ貫いています。

飛行場建設用鉄道は東武野田線の運河駅から敷設されており、途中で野田線から離れて飛行場まで向かっていました。
野田線とは単線並列だったそうで、建設は鉄道連隊が行ったようです。
(運河駅~初石駅間の複線化が東武野田線の中でも早期に行われたのはこの線路のおかげ?)

ただ、肝心の廃線跡はというと、何も知らないでこの地図から見つけるのは超高校級の地図好きでもたぶん無理です。

もったいぶっていますが、順序良く次は航空写真を貼ります。

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1947年(USA-R393-156)

国土地理院の「地図・航空写真閲覧サービス」を加工して、運河駅を図示。

こうしてみると、やっと廃線跡を確認することができると思います。
運河駅の南側、北から東へ向けてカーブする道路がありますが、これが廃線跡です。


この航空写真には西誘導路跡も写っているので、廃線跡とそれも合わせたのが下図です。
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建設用鉄道は西誘導路として活用されるため、途中から線が重なります。
鳥瞰してみると建設用鉄道は北から伸びる谷津を避けて建設されていると感じますね。

終点はどこか。

始点が運河駅だとすると、終点はどこになるのでしょうか。
もちろん飛行場なのですが、飛行場のどの場所まで線路が敷かれていたのかは定かではありません。
何となくこの辺りじゃないかな?って所まで線を引いたのが下図です。

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1947年(USA-R393-155)

先ほどの写真の東側です。コンクリート舗装された白い滑走路跡が目立ちます。

オレンジ線部は土地が開けていて誘導路跡として確認できるのに対して、黄色線部は農地として開拓されているため、廃線跡どころか誘導路跡も分からなくなっています。

もしかしたら途中で南下して平行誘導路の方まで線路が伸びていた可能性もあります。
真の終点は頑張って調べてチャンとわかったら更新します…。


江戸川台の道路がほぼ一致

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2019年8CKT20192-C3-14)

現代に廃線跡を重ねてみる。
戦後の写真と比べるまでもなく完全に住宅街として発展しているけど、いくつかの道路は過去と変わらない。
東武野田線との分岐部は推測になるけど、カーブ終端から東に向かう道はそのまま道路となっていると考えて問題ないと思う。

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1997年(CKT20192-C2-15)

赤い透過が飛行場、青い透過が滑走路。現代だと常磐自動車道より東側がよく分からない形になっている。

まとまらないまとめ

当鉄道は飛行場の建設のためだけの短い期間しか使用されなかったため、そもそも建設されなかった(未成線)という話もあるようですが、
実際に蒸気機関車が走っていたという話もあるため、おそらく実際に運用されていたでしょう。
軍用施設のため、その辺の細かい情報は出回らなかった気もします。

また、軽便鉄道(鉄道連隊施工なら600mm?)と言われていますが、東武野田線から資材を積み替えていたのでしょうか?
もう少し地域史や鉄道連隊の史料に当たれば答えが見つかるかもしれませんが、どうでしょうか。


参考文献は『柏にあった陸軍飛行場』です。