千葉好き地図鉄の雑記録

千葉県の鉄道などについて記します。

鉄道連隊演習線に繋がるアヤシイ路線の話④

航空写真に写る謎の引込線


4回目は補給廠線の専用線以外の用途について考えます。

この専用線、戦後の航空写真をよく見てみると不思議な引込線が何本も写っているのです。

第1回に掲載した航空写真に写っていますが、改めて下記に、引込線部分をピックアップして載せます。

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1946年(USA-M58-A-6-210)を加工(国土地理院「地図・空中写真閲覧サービス」)

写真は松波地区です。
東西を横切るのは総武本線で、扇状の住宅地は松波3丁目です。
赤い線が今回の主役である補給廠線です。

元写真などを拡大してみるとよく分かるのですが、補給廠線から6本の短い引込線(オレンジ矢印)、デルタ線となっている長い引込線(オレンジ線)が別れています。引込線は他にもあるかもしれません。


そもそもこれらが鉄道に関係するのか怪しいですが、区画された道路に寸断されている点や補給廠線から緩やかに分離している点から鉄道関係施設と判断します。


では、この引込線は何なんだとなるわけですが、まず補給廠線の情報が皆無な時点で正体が分かる術がありません。

ですので結論からいうと正体不明です。
ただ、推測ですが、これら引込線は機関車の防空壕であったと考えます。

東武野田線大和田駅防空壕

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1946年(USA-M46-A-7-3-93)

突然ですが、この写真は埼玉県にある東武野田線大和田駅の1946年のものです。

大和田駅の春日部側から北上する線(矢印)がありますが、この引込線も機関車の防空壕線であると言われています。

実は千葉の補給廠線から伸びる引込線と、この大和田防空壕線(仮称)にはいくつかの共通点があります。

  1. 拠点機関区に近い(千葉機関区、大宮機関区)
  2. 機関車の転換用にデルタ線がある
  3. 引込線は隠蔽用に林の中にある

大和田に比べると千葉のは規模が小さく感じますが、これら共通するポイントから、千葉の引込線も防空壕であった可能性が高いと考えました。

防空”壕”?

「機関車の防空壕」といえば米原防空壕が有名ですが、千葉も大宮もトンネルではなく森林を活用しています。

千葉も大宮も、近くにトンネルが掘れる山はないため、機関車を隠せる、もしくは被害を最小限に抑えられる森林内に防空壕を設置したと思われます。
航空写真でまる見えなので現実的に効果はあったのだろうか。

ですので防空”壕”というより防空”林”の方が正確かもしれませんが、「空襲に備えるシェルター」の意味として防空壕としておきます。

建設されたのは空襲前後か?

防空壕線の建設時期は戦中である以外、現時点で特定できる要素はありません。
千葉市を襲った2回の空襲(1945年6月10日と「七夕空襲」といわれる1945年7月7日の空襲)の前後に建設されたんじゃないかと推測できる程度です。
こればっかりは空襲の記録や、敷設を担ったであろう鉄道連隊の行動記録等を地道に当たるしかないと思っています。


意外と長い廃線跡

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2019年(CKT20193-C15-8とCKT20193-C15-10を元に加工)

最後に2019年の航空写真です。
鉄道連隊の習志野線と千葉材修場線は敢えて分けています。また、作業場線はだいたいこの辺りって所に線を引いています。防空壕線は一応、引込線群としました。
千葉駅の移転関係は省略。


補給廠線はそのキレイな線形が最大の遺構ですが、物理的な遺構は穴川の急カーブに陸軍の境界標石が残っているようです。松波側にも探せば残っているかもしれません。
また、松波さくら通りは千葉商業高校辺りで車道と小道が別れています。これは車道部が鉄道の築堤として建設された名残でしょう。

気が向いたら現地調査するかもしれませんが、ぜひ得意な人はよろしくお願いします。

まとまらないまとめ

今回は鉄道連隊習志野線跡から分岐する道路を千葉陸軍兵器補給廠の専用線跡であるとして書いてきましたが、結局のところ、補給廠線=松波ルートであると確定できる史料を見つけられていないため、この点は今後の課題です。

そもそも廃線跡として扱われていない現状なので知名度が上がればひょっこり史料が出てくるかもしれないという淡い期待を抱いて終わりとします。


補足的な続き⇒鉄道連隊演習線に繋がるアヤシイ路線の話⑤ - norehero-19の日記