千葉好き地図鉄の雑記録

千葉県の鉄道などについて記します。

幻の船橋鉄道を探る③~三咲・大神保町

1.謎の直線

3回目は三咲と大神保町の遺構です。
まず、1つ目は県道57号線に対して交差する直線です。地名だと三咲とみやぎ台の境目です。

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1948年(USA-M390-7)を加工。国土地理院「地図・航空写真閲覧サービス」

写真の左下でカーブしているのは鉄道連隊演習線。ちょうど三咲駅二和向台駅の間です。
矢印が重なっている道路は県道57号線、南から東に抜ける道路は県道288号線です。

中央の矢印の先に道路と交差する謎の直線がみえると思いますが、おそらくこれが船橋鉄道の遺構だと思います。どうやら道路に対して掘り下げているようにみえます。

残念ながら、この場所の土地造成は旧版地図に描かれておらず、また、年数が経つごとにこの特徴は無くなっていきます。現代では全く残っていないです。

この場所については全く情報がないので間違いかもしれません。しかし、右上に見えている大神保町の遺構と合わせるとかなり確率は高いのではないでしょうか。

2.現在も残る未成線

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1962年(MKT621-C17-7)

次は最初の写真の右上から伸びる直線の続きです。地名は船橋市大神保町です。先ほどと同じく南から東へ県道288号線が通っています。
上の矢印の南側には船橋森林霊園がある場所です。


写真は1962年ですが、免許失効から約45年以上経っても存在を確認できます。
この遺構は今も残っており、現在の陰影起伏図でも確認できます。

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今昔マップを加工

左は旧版地図、右上は陰影起伏図です。この辺りは開発されていないため、起伏図でも切土工事を行った跡を確認できます。
ちなみに、google map等の航空写真では木々が生い茂っていてよく分かりませんが、森のなかに真っ直ぐ伸びる土手が残っているそうです。

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2019年(CKT20193-C10-29)を加工

2019年の写真にトレース。
三咲側は全く現在の区画と合いませんが、大神保町側は工場の向きが未成線跡に沿っています。

3.白井村に入れず

大神保町の遺構の先は二重川が流れており、川を越えると白井市復です。
小字でいうと富ヶ沢となります。つまり、船橋鉄道の営業報告書にあった「白井村富ヶ沢に移らん」というのは、この場所まで工事を行っていたということです。

その後も工事に着手することが出来なかったのか、少なくとも航空写真では白井市内に船橋鉄道を感じさせるものはありません。
報告書を読む限り、白井市内は富塚を除いて土地の確保すらできていなかったようです。
仮に何かしらの工事があったとしても北総線などの開発で失われているか…。


次回は柏市藤ヶ谷から。
幻の船橋鉄道を探る④~藤ヶ谷 - norehero-19の日記

幻の船橋鉄道を探る②~緑台・金杉

1.2つの築堤跡

前回に引き続き、次は緑台から高杉まで。
緑台の築堤は高根町の航空写真に少し写っていましたが、遺構はさらに続いています。

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1948年(USA-M737-112)国土地理院「地図・航空写真閲覧サービス」

中央の台地が緑台(大堀)、北側が金杉です。分かりずらいが、西側から北側に向かう道路が県道288号線。

高根町のものよりも分かりやすいと思います。
2つの築堤(中央と下の矢印)を挟んで森林を縦に貫く直線があります。

金杉では線がやや右カーブをしたまま消えています(上の矢印)。
写真の北側には御滝不動があり、予定では滝不動駅が置かれる計画だったので、船橋鉄道は現在の新京成線滝不動駅と御滝不動の間を通っていたかもしれません。

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今昔マップ

この場所も旧版地図に築堤が描かれています。
地図右側の線は鉄道連隊の演習線です。新京成線が演習線の敷地を活用したのがよく分かります。

2.現代の航空写真にあらわす

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2019年(CKT20193-C11-39)を加工

2019年の航空写真に路盤跡をトレースしたものです(なんかUPミスってる)
これを見る限り、現代もしっかりと残っているのは念田川の築堤(緑台と金杉の間)のみで、道路や畑には一切痕跡がありません。

高根町の畑の中に杭とか残ってないかな…


次回は三咲・大神保町です。
幻の船橋鉄道を探る③~三咲・大神保町 - norehero-19の日記

幻の船橋鉄道を探る① -高根町-

1.船橋鉄道とは

船橋鉄道」は大正時代に、現在の総武本線船橋駅常磐線柏駅間を結ぶ目的で計画された鉄道路線です。
実際に用地買収や路盤工事が実施されましたが、社内の混乱や資金不足によって完成しないまま免許が失効してしまった、いわゆる未成線です。

船橋鉄道の会社設立から解散までの経緯は船橋鉄道 - Wikipediaにまとめられていますので、当記事では扱いません。今回はわずかにも実際に工事され、鉄道という目的を達せず放置された船橋鉄道の痕跡を、地図や航空写真から探っていきたいと思います。

2.船橋鉄道のルート

現在、船橋~柏間には東武野田線が通っていますが、船橋鉄道は東武野田線が開業する約10年前、1912年(大正元年)に計画されました。
東武野田線船橋~柏間は当時の北総鉄道により開業したものですが、当記事では東武野田線とします。


東武野田線船橋駅から鎌ヶ谷市内を縦断して柏駅に至りますが、船橋鉄道は船橋駅から現在の白井市や旧沼南町を通り柏駅に至るルートで計画され、両線を船橋駅を中心として比較するならば、東武野田線は「西回り」、船橋鉄道は「東周り」といえるルートでした。


下図は船橋鉄道のおおよそのルートを示したものです。

地理院地図を加工して作成。船橋鉄道計画時、東葛人車鉄道は存在していたが、東武野田線は未開業。


船橋鉄道は、船橋駅より当時の八栄村・鎌ケ谷村・風早村・土村・千代田村を経て豊四季村(柏駅)に至るルートで免許申請され、延長は13マイル10チェーン、約21.1kmでした。

しかし、1914年にこの案を八栄村から豊富村・白井村・風早村・千代田村を経て豊四季村に至るルートへ14マイル64チェーン(約23.8km)に距離を伸ばして変更。

当初案は東武野田線に近く、変更案はより白井よりになった形です。ちなみに東武野田線船橋~柏間は約19.6kmです。
東葛人車鉄道の営業範囲を脅かさないように考案したのかもしれません。
なお、申請案(13マイル10チェーン)のルートはざっくり、変更案(14マイル64チェーン)は遺構の残る箇所を元にして引いています。

3.遺構を探す

航空写真に残っているのは変更後のルートです。
実際にどこまで工事されたのかについて、1915年上半期営業報告書には以下のように述べられています。

八栄村高根より漸次北方に向って進行し目下白井村富ヶ沢に移らん

つまり、1915年時点では現在の船橋市高根町から北上し、白井市復に差し掛かろうとしている所まで工事をしていた状態です。


さっそく、まずは工事開始地点の高根町から。遺構を矢印で明示。
なお、以後はすべて船橋側を起点・柏側を終点として記述します。

1948年(USA-M871-97)国土地理院「地図・航空写真閲覧サービス」の画像データを加工。

写真の南西側が船橋駅。まだ県道8号線(船取県道)は未開通です。

宮前川に北東方面に向かう築堤(左下矢印)と掘割が残っています。また、北側の緑台側にも高根川に対する築堤(上の矢印)がみえます。

船橋鉄道の遺構は航空写真の時点で免許失効から30年以上が経過しているため、全体的に切土工事で造成された箇所が写っています。

今昔マップを加工

旧版地図でも築堤が描かれています。しかしながら、現在は築堤があった場所のど真ん中に船取線が伸びているため、全く残っていません。


ちなみに、船橋駅周辺は土地の見当がついていただけで工事はされなかったようです。
夏見と米ヶ崎を通るルートなので、船橋駅東武野田線とは逆に東側に出て、すぐ左カーブ、海老川を渡って北東の高根へ直進…
もし完成している世界線ならば、夏見駅(船橋中央駅)ができて東葉高速鉄道との乗換駅となっていたかもしれません。
船橋駅周辺は幻の船橋鉄道を探る⓪ -船橋駅と柏駅- - 千葉好き地図鉄の雑記録で。



次回は緑台から金杉まで。
幻の船橋鉄道を探る②~緑台・金杉 - 千葉好き地図鉄の雑記録

幻の銚子貨物駅を探る

1.「銚子」と「鉄道」

当ブログは千葉県の廃線未成線を中心に記事にする方針ですが、””銚子””と”鉄道””といえば、やはり銚子電気鉄道

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2001編成、2012年。2021年もまだ走ってるよ。

じゃなく、今回は幻の「銚子貨物駅」について記したいと思います。
銚子貨物駅?? 新生駅 (千葉県) - Wikipediaの間違いではないか?と、ツッコミたくなると思いますし、自分も最初そう思いました。
新生駅と「銚子貨物駅」の関係については後述します。


2.「銚子貨物駅」とは

はじめに言っておくと「銚子貨物駅」は正式名称ではないです。
駅名不明なので、便宜上当記事で勝手にそう呼んでいるだけなので、駅名が分かれば追記します…。


銚子貨物駅の初出は、戦争によって荒廃した銚子市の復興計画で登場したものです。
銚子市銚子空襲 - Wikipediaによって甚大な被害を受けましたが、
その復興都市計画において土地区画整理とともに計画されたようです。

貨物駅の計画について、『続銚子市史Ⅲ』(1983年)には下記のように記されています。

特に鉄道の改良計画を折り込んで、運輸省において銚子駅を旅客専用駅とし、新たに西方約五百メートルの地点に貨物専用駅を設置する


現在こそ銚子駅は”旅客専用駅”ですが、かつてはヤマサ醬油やヒゲタ醬油の工場へ専用線が伸びており、
さらに銚子駅北東に位置する新生駅からは銚子漁港臨港線が敷設されていた時代もありました。

取扱い貨物は醤油や魚介類の発送に対して、到着は大豆や麦類、船舶用の燃料が中心で、
おそらくはこういった貨物着発送を集約しようと計画されたと思いますが、
市史のいう「銚子駅」が新生駅の貨物扱いを含むものなのか(新生駅を廃止するものなのか)、または銚子駅の小口扱いのみを分離するものなのかは今後の調査課題です。



3.「銚子貨物駅」を航空写真から見つける

銚子貨物駅は都市計画に基づいて、1946年から用地買収と整地が行われたようですが、結局貨物駅の計画は中止となり、未成駅となってしまいます。
実際に銚子駅の”西方約五百メートル”地点で貨物駅が建設されていたのか、航空写真から探してみます。
以下、全ての航空写真は国土地理院「地図・航空写真閲覧サービス」の画像を加工しています。

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2012年、銚子(CKT20114-C17-47)

2012年の銚子。東側で銚子駅が見切れていますが、ヒゲタ醬油の工場が中心にあります。

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1952年(USA-M170-122)

次は貨物駅建設が着手されたあとの1952年です。やや回転していますが、ヒゲタ醬油と銚子駅がよく分かると思います。

ヒゲタ醬油の北側をみると、総武本線と市街地の間が開けており、さらに線路から弧状に広がる路盤を確認できると思います。地名でいうと松本町です。
駅から500m地点でもあり、これがおそらく銚子貨物駅の未成路盤です。

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同上の写真にラインを記したもの

路盤を赤くしてみました。
ただ、この路盤がイコール銚子貨物駅の構内線なのか、または駅建設に向けて一時的に本線を迂回させるための線なのかは、航空写真だけでは判断できないです。
貨物駅にしては弧状が強すぎる気もする…(駅の計画図を発見できれば…)

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1963年(MKT633-C8-40)

1963年。計画が中止されたためか、この時点で1952年のときにあった路盤は消失しており、新しい土地区画が出来ています。本線の線路に変化はありませんが、銚子駅の留置線はまだありません。

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1975年(CKT7413-C10B-13)

1975年。留置線が完成しています。よくみるとヒゲタ醬油専用線を貨物列車が走っています、DE10形?

留置線を見ていると気になるのが、道路に囲まれた土地が荒野踏切の西側(ヒゲタ醬油の北側)にも広がっていることです。1963年でも存在します。
留置線延長の為のものか、もしや貨物駅計画の名残?と考えたいところですが、現状だと妄想ですね。

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2012年に1963年を透過加工

最後に、最初の2012年写真に1952年の写真を透過させたものです。

4.幻の「銚子貨物駅」

この駅がなぜ計画中止となってしまったのか。市史には記されていないため、他文献を調べるしかありませんが、おそらく貨物量の減少や復興計画の縮小が関係あるように思えます。
また、仮に開業していたとしても、新生駅が1978年に廃止されているため、同じ運命を辿っていたでしょう。
はたして戦後すぐに計画された終着の貨物駅はどのようなものだったのか、幻想から抜け出せるよう、もう少し調べてみたいと思います。

エレクトリックレールウェイ

東京ディズニーシーの「鉄道」

東京ディズニーシーには
1912年頃のニューヨークを舞台にしたアメリカンウォーターフロントと、100年前の人が想像した未来の港であるポートディスカバリーを結ぶ、
エレクトリックレールウェイという鉄道が走っています。
延長約0.48kmの電気鉄道です。

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日差しが強くて暑かった。撮り鉄ではないので車両は撮れればいいのである。

最初の記事は、このエレクトリックレールウェイの延伸…についてちょっと書いてみようと思います。

アメリカンウォーターフロント

2つの駅のうち、アメリカンウォーターフロント駅の先は車庫になっています。

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アメリカンウォーターフロント
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駅の先

壁には「MUNICIPAL PAILROAD DOWNTOWN MAINTENANCE FACTLITY Est.1903」
と書かれています。市電の修理施設ということですね。

ポートディスカバリー

アメリカンウォーターフロント駅に対して、
ポートディスカバリー駅は可動式車止めが設置されており、終点となっています。

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ポートディスカバリー
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ポートディスカバリー駅の車止め

この駅、ホームは1面1線ですが、向かい側にも線路が敷けそうな造りをしています。

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対称の構造が美しい。いつでも線路が敷けそうな気がする。

シー開園時から、この車止めの先にある林に向かって、
つまり、ロストリバーデルタ方面に向かっていつの日か「延伸」するのではないかと考えていました。

とくに「新エリア=ファンタジースプリングス」が発表されたときには、
いつ延伸工事が行われるのかと楽しみにしていましたが、
ファンタジースプリングスはロストリバーデルタとアラビアンコースト側にできるので、
延伸は夢で終わりそうです。

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建設中のファンタジースプリングス

ファンタジースプリングス、楽しみですね。

エレクトリックレールウェイは、ほかにも信号システムについてや第三軌条方式であるとか、おもしろいポイントはまだまだありますが、その辺は各自調べてみてください(他力本願)

実際のところ、延伸となるとホームを増設しなければいけないし、
ファンタジースプリングスにエレクトリックレールウェイは似合わないので、
無駄な妄想でしかないのですが、
そんな夢を見てもいいと思うのです、この場所は…。

はじめに

1.はじめに

今まで調べてきた千葉県の鉄道に関しては、
↓のグーグルマップを使ってまとめていましたが、
長文を書きにくいことや、まとまりがないことが嫌だったため、
ブログの形式でまとめ直してみることにしました。

見てのとおり、千葉県にマーカーがビッチリしていて、何が何だかよく分かりません。
オマケに、表示しているのはこれで全部ではないんですよね。
これを、体系的にまとめ直したいわけです。

2.閲覧数?

2021年5月15日現在で、このマップの閲覧数は約735,000となっており、
公開日をだいたい2016年とすると、
単純計算で735,000÷64か月=11,500閲覧/月です。

こんな、タイトルからして人を選ぶものに対して
月11,500回も開かれているんだなと勝手に感慨深いです。

3.さいごに

最後に継続するために、自己的なこのブログの目的を記します。
①今まで調べたことをまとめる。
②記事がインデックスとなる。
③記事を書くために再調査をして正確な情報に更新する。