千葉好き地図鉄の雑記録

千葉県の鉄道などについて記します。

幻の銚子貨物駅を探る

1.「銚子」と「鉄道」

当ブログは千葉県の廃線未成線を中心に記事にする方針ですが、””銚子””と”鉄道””といえば、やはり銚子電気鉄道

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2001編成、2012年。2021年もまだ走ってるよ。

じゃなく、今回は幻の「銚子貨物駅」について記したいと思います。
銚子貨物駅?? 新生駅 (千葉県) - Wikipediaの間違いではないか?と、ツッコミたくなると思いますし、自分も最初そう思いました。
新生駅と「銚子貨物駅」の関係については後述します。


2.「銚子貨物駅」とは

はじめに言っておくと「銚子貨物駅」は正式名称ではないです。
駅名不明なので、便宜上当記事で勝手にそう呼んでいるだけなので、駅名が分かれば追記します…。


銚子貨物駅の初出は、戦争によって荒廃した銚子市の復興計画で登場したものです。
銚子市銚子空襲 - Wikipediaによって甚大な被害を受けましたが、
その復興都市計画において土地区画整理とともに計画されたようです。

貨物駅の計画について、『続銚子市史Ⅲ』(1983年)には下記のように記されています。

特に鉄道の改良計画を折り込んで、運輸省において銚子駅を旅客専用駅とし、新たに西方約五百メートルの地点に貨物専用駅を設置する


現在こそ銚子駅は”旅客専用駅”ですが、かつてはヤマサ醬油やヒゲタ醬油の工場へ専用線が伸びており、
さらに銚子駅北東に位置する新生駅からは銚子漁港臨港線が敷設されていた時代もありました。

取扱い貨物は醤油や魚介類の発送に対して、到着は大豆や麦類、船舶用の燃料が中心で、
おそらくはこういった貨物着発送を集約しようと計画されたと思いますが、
市史のいう「銚子駅」が新生駅の貨物扱いを含むものなのか(新生駅を廃止するものなのか)、または銚子駅の小口扱いのみを分離するものなのかは今後の調査課題です。



3.「銚子貨物駅」を航空写真から見つける

銚子貨物駅は都市計画に基づいて、1946年から用地買収と整地が行われたようですが、結局貨物駅の計画は中止となり、未成駅となってしまいます。
実際に銚子駅の”西方約五百メートル”地点で貨物駅が建設されていたのか、航空写真から探してみます。
以下、全ての航空写真は国土地理院「地図・航空写真閲覧サービス」の画像を加工しています。

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2012年、銚子(CKT20114-C17-47)

2012年の銚子。東側で銚子駅が見切れていますが、ヒゲタ醬油の工場が中心にあります。

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1952年(USA-M170-122)

次は貨物駅建設が着手されたあとの1952年です。やや回転していますが、ヒゲタ醬油と銚子駅がよく分かると思います。

ヒゲタ醬油の北側をみると、総武本線と市街地の間が開けており、さらに線路から弧状に広がる路盤を確認できると思います。地名でいうと松本町です。
駅から500m地点でもあり、これがおそらく銚子貨物駅の未成路盤です。

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同上の写真にラインを記したもの

路盤を赤くしてみました。
ただ、この路盤がイコール銚子貨物駅の構内線なのか、または駅建設に向けて一時的に本線を迂回させるための線なのかは、航空写真だけでは判断できないです。
貨物駅にしては弧状が強すぎる気もする…(駅の計画図を発見できれば…)

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1963年(MKT633-C8-40)

1963年。計画が中止されたためか、この時点で1952年のときにあった路盤は消失しており、新しい土地区画が出来ています。本線の線路に変化はありませんが、銚子駅の留置線はまだありません。

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1975年(CKT7413-C10B-13)

1975年。留置線が完成しています。よくみるとヒゲタ醬油専用線を貨物列車が走っています、DE10形?

留置線を見ていると気になるのが、道路に囲まれた土地が荒野踏切の西側(ヒゲタ醬油の北側)にも広がっていることです。1963年でも存在します。
留置線延長の為のものか、もしや貨物駅計画の名残?と考えたいところですが、現状だと妄想ですね。

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2012年に1963年を透過加工

最後に、最初の2012年写真に1952年の写真を透過させたものです。

4.幻の「銚子貨物駅」

この駅がなぜ計画中止となってしまったのか。市史には記されていないため、他文献を調べるしかありませんが、おそらく貨物量の減少や復興計画の縮小が関係あるように思えます。
また、仮に開業していたとしても、新生駅が1978年に廃止されているため、同じ運命を辿っていたでしょう。
はたして戦後すぐに計画された終着の貨物駅はどのようなものだったのか、幻想から抜け出せるよう、もう少し調べてみたいと思います。