小湊鐡道の未成線
小湊鐡道の小湊鐡道線は内房線五井駅から上総中野駅までを結ぶ全長39.1kmの鉄道路線です。全線非電化で、駅は乗り換えのできる両端の2駅と途中16駅、合わせて18駅あります。上総中野駅で接続している「いすみ鉄道」と合わせて房総横断鉄道を構成しています。

そんな小湊鐡道ですが、その社名が示す通り、もともとは外房線(当時は省線)の安房小湊駅を目指して設立された鉄道会社でした。安房小湊には誕生寺があり、参詣客の誘致を見込んでいた訳ですが、結局のところ、上総中野駅から安房小湊駅までの延伸は叶わず未成線となっています。
今回は、そんな小湊鐡道の未成線区間を、「鉄道省文書」に残された小湊鐡道の史料から探してみたので、紹介しようと思います。
なお、小湊鐡道の「未成線」といえば、紆余曲折を経た現在の京成千原線の未成区間(ちはら台~海士有木)も有名ですが、今回は安房小湊までの区間のみを扱います。
養老渓谷ルート
小湊鐡道の安房小湊を目指す計画は、最初の鉄道敷設免許申請時からスタートしており、1913年(大正2年)11月26日に交付された免許は当時の五井町~湊村間で申請されています。
免許申請時のルートは、上総中野駅まで行かずに養老渓谷駅(当時は朝生原駅)から直接小湊を目指す計画で、概ね養老川と県道178号線に沿っていました。朝生原から小湊までは約17.7kmで、この後の変更線を含めても最短ルートでした。
朝生原~小湊間の途中駅は小田代、会所、古新田の3駅が計画されていましたが、養老渓谷の中を突き進むルートであったため、駅間はほとんどが橋梁とトンネルの連続する、建設するにはかなりの困難が予想されるものでした。

朝生原駅

朝生原(あそうばら)駅は五井から約33.8km地点に計画されていました。1928年(昭和3年)に開業した現在の養老渓谷駅は五井から約34.9kmとなっており、現在の小湊鐡道線は五井から順に建設していく過程で設計変更があったことが分かります。(朝生原駅より北側を点線にしているのは、現在と敢えて繋げた想像線)
予定図ではこのまま真っ直ぐ養老渓谷を南下するルートでしたが、次の小田代まで特に駅は描かれていません。もしもこのルートが実現していれば、路線開業後、養老渓谷の目の前に「養老渓谷駅」が出来ていたかもしれません。
小田代駅

小田代(こただい)駅は五井起点約36.5km。市原市を抜けて大多喜町に入ります。
免許申請時、小田代は旧老川村の中心で、当時は村役場(住所は大田代で、現在は大多喜町老川出張所)もあるなど、予定線の沿線で一番の人口密集地です。駅のすぐそばの養老川には紅葉で有名な「懸崖境」があります。
また、ここは国道465号線と県道178号線が交わる老川十字路があり、交通の要衝です。交差点には「山の駅喜楽里」もあることから、鉄道駅があっても違和感が無い場所です。
会所駅

会所(かいしょ)駅は五井起点約42.8km。隣の小田代駅との駅間は約6.3kmもあり、当然ながら小湊鐡道の最長区間と成り得た駅です。小田代~会所間の沿線には「栗又の滝」を始めとした多くの滝があるなど、風光明媚な場所ですが、計画図では駅間のほとんどをトンネルで貫く予定となっていました。
肝心の会所駅も、会所地区の中心からは遠く、なぜここに駅を計画したのか謎です。
古新田駅

古新田(こんた)駅は五井起点45.8km。場所は勝浦市です。古新田の読みは独特で、飯給駅と並ぶ難読駅名となったでしょう。
駅近傍で目立つのは1973年竣工の「勝浦ダム」で、最寄り駅になったかもしれませんが、ここも会所駅と同様に、古新田地区の中心からは1kmほど離れています。
小湊駅

養老渓谷ルートの小湊駅は五井から約51.5kmの位置になります。安房小湊駅は当時未開業でしたので、計画図では安房小湊駅の推定地よりも若干北側に駅予定地が描かれています。興味深いのは、この場所への駅設置が大正時代には想定されていたということです。
当予定線は、後の工事施工線や変更認可線で予定された大風沢川に沿うルートではなく、駅東側(鴨川市開戸)を通って古新田に向かうルートが計画されていました。
小田代駅が木原線との乗り換え駅?
養老渓谷ルートは免許申請時のルートだったこともあり、結局は計画変更により実現しませんでした。仮に実現していたとしても、養老渓谷までは観光列車が走ったかもしれませんが、小田代駅以南は相当な閑散区間になったと思われます。
ただ、久留里線が国道465号線に沿って上総亀山駅から延伸していた場合、小田代駅が接続駅になった可能性があります。木原線と小湊鐡道線の乗り換えは上総中野駅ではなく、小田代駅だったかもしれません。想像し始めると止まりませんね。
次回に続きます。