千葉好き地図鉄の雑記録

千葉県の鉄道などについて記します。

成田線と京成本線を繋ぐ、酒々井のナゾ鉄道①

あけましておめでとうございます。
2023年もよろしくお願いいたします。

記事を書きかけのまま1年間放置状態ですが、今年こそ頑張って更新していきたい所存です。
というわけで、今回は「廃線」を一つ紹介。

酒々井駅京成酒々井駅

今回の舞台は、千葉県印旛郡酒々井町。難読地名として有名な街ですね。
そう、さけさけいしすいです。

酒々井町は1889年(明治22年)の町村制施行以来、一度も合併をしていない町であり、一度も村や市になっていない(発足当初からずっと”酒々井町”)、結構レアな自治体です。

そんな酒々井町ですが、町内には鉄道駅が4つもあり、高速道路のインターチェンジもあります。これだけインフラ力が強い町も珍しいのではないでしょうか。

そんな酒々井町の地図は↓↓

酒々井町地理院地図を加工)

町内には、総武本線南酒々井駅成田線酒々井駅京成本線京成酒々井駅があります。地理院地図では表示が消えていますが、町の北側には同じ京成本線宗吾参道駅があります。


次は、町の中心である酒々井駅周辺にズームアップした地図です。

地理院標準地図と最新写真(今昔マップより)

街の中心を国道51号線が南から北東に通っています。国道に対して西側に京成酒々井駅、東側に酒々井駅があります。酒々井駅周辺は区画整理されており整然としていますが、駅から離れると田畑が広がっています。

両駅は約700mほど離れており、お世辞にも乗換駅とは言えません。歩く以外でJRと京成を乗り換えたい場合、素直に成田までいくか、バスに乗る方法があります。


明治時代の酒々井

いつものごとく、昔の地図を確認していきます。

酒々井駅は1897年(明治30年)、成田鉄道の駅として開業しました。当時は南酒々井駅未開業かつ京成線未開通のため、町内は1駅のみでした。

1909年(明治42年)頃の酒酒井。今昔マップより

地図の中央に「しすゐ」駅があります。場所の比較は右図でできると思いますが、さすがに100年前だけあって現代とは大きく異なります。今回は鉄道メインの話ですが、成田街道の変遷を辿っていくのも面白いと思います。

戦後すぐの酒々井

次は戦後の酒々井です。

1947年(昭和22年)頃の酒々井

京成酒々井駅は、京成本線津田沼~成田花咲町間開通時に開業しています。1926年(大正15年)のことなので、当地図にはしっかり描写されています。両駅とも「しすゐ」表記なのが面白いですね。
明治の地図と比較して分かることは、成田鉄道の酒々井駅が人里離れた場所に開業したのに対して、京成酒々井駅は「中川」の中心地に駅を設けています。京成電鉄船橋津田沼、佐倉など、どの街でもより利用者が見込める場所に駅を設置していますが、酒々井も例外ではなかったということです。

昭和3年の酒々井

では、次に昭和3年発行の旧版地図を見てみてください。

国土地理院の2万5千分の1地形図(1928年3月30日発行)を一部切り取り

この図は、旧版地図から酒々井駅周辺を切り抜いたものです。前の地図同様、既に京成本線も開通しています。

ちなみにですが、オックスフォード大学のリポジトリから当地図を閲覧できますので、下記URLからどうぞ。正直、こっちの方がキレイです。
[Japan] Nimangosenbunnoichi Chikeizu -- [Japan] 二万五千分一地形圖 | Stanford Digital Repository



この地図、よく見てみると、省線酒々井駅から分岐して京成本線に接続する謎の鉄道が描かれています…。

まさかと疑う気持ちを抑え、もっと駅近くを拡大してみます。

前図をさらに加工

「貨物軌道」って書いてあるな…。



成田線と京成本線を繋ぐ、酒々井のナゾ鉄道② - norehero-19の日記に続く。